20110311 大地震の日
2011⁄03⁄12(土) 07:51
20110311週末の午後。
東北を襲った大地震の揺れは東京台東区でも感じられた。
その時間は在社しており監査を受けている最中だった。
最初は「地震ですね。」ぐらいで済ませていたが揺れはだんだん酷くなり、監査は中断して安全を確保する事が最優先になった。
いつまでも続くような揺れ方で、ネットも電話も繋がらない中で情報を集めた。
監査も早々に終了となり、本来は翌土曜日は出勤日であったが急遽自宅待機の指示が来る。
TVでは鉄道も止まり、外回りに出ていて帰ってきた同僚からは道路も車だらけで動いていない、バスも走ってはいるが渋滞で何時来るか分からないと言うことだった。
会社の営業車で帰宅しても良いと言うことだったが遠距離通勤者に譲って、18時過ぎに会社を出て一旦JR御徒町へ行ってみる。

運行停止だけではなく改札すら入れないように駅はシャッターを下ろしてあり、何の案内もない。
館内放送や張り紙すらない状況だ。
こうなると残された手段は一つしかない。
最後に頼れるのは自分。
そう、歩いて帰宅することに決めた。
御徒町から蒲田まで自転車で走ったことがあるので、凡その距離は予測できる。
距離凡そ22km。
歩きは苦にならない方だし仕事中はよく歩くようにしているが、安物の革靴でどこまで歩けるかが問題だった。
御徒町駅からR4昭和通へ出るが交通機関が麻痺しているため、歩道から溢れる人。
信号が青でも流れない車。
少しでも前に出ようと交差点の真ん中で止まってしまい、クラクションを鳴らされてる愚か者と、鳴らしている馬鹿者。
人が渡っている横断歩道にクラクションを鳴らしながら、窓も開けて罵声を上げている奴。
ようやく日本橋まで辿り着き、人ごみを避けて裏通りを歩く。
築年数の古いビルは窓ガラスが割れて散乱し、連絡を取ろうとしている人達が公衆電話に長蛇の列。
腹が減っては歩きもできないと思い視界に入るコンビニに手当たり次第に入ってみるが、当然の如くパンや弁当は売り切れ、飲み物もジュース類はあっても水が無い。
仕方なく歩き続けて築地まで来たところで我慢できずに自販機で飲み物を買う。
血糖値が高いので普段はめったに飲まないが、今日は糖類の多目のスポーツドリンクを買う。
築地の先から海岸通へ出るが、ベイエリアはビル風が強く、コートに向かい風が纏わりついて歩きにくい。
途中、都営バスのバス停の行き先が品川になりナスに乗るかどうか思案するが、海岸通も車は全く流れないと言うか動かない。
珍しいことに空車表示のタクシーが止まっていたので運転手に話を聞くが、何度も客を乗せて何度も降りられたそうだ。
つまり車より歩いた方が少しでも進むって言うこと。
旧東海道まで到着したが、ここも歩いて家路を目指す人で溢れかえっている。
コンビニで食糧補給は諦めていたので居酒屋など覗きながら歩くが、どこも「地震のため閉店」か「満席」かだった。
R15立会川まで到達。
ガソリンスタンドはトイレと休憩ロビーを開放、マクドナルドは入りきれない人でごった返し、ビジネスホテルもロビーを開放し始めている。
鈴が森から大森方面へ入って少し気が緩んだ。
足が重くなり前に出ない。
環7春日橋を潜り、JR線沿いに出る。
通勤で使っているJR京浜東北線の車両が踏み切りの上で停車しており、踏み切りは下がったまま、警報機もずっとカンカン鳴ったままだ。
家から一番近い踏切まで、やっと到着。
この踏み切りも下がったまま、警報機は鳴ったままだったが、遮断機を持ち上げて車を通したり。
昼に客と蕎麦しか食っていない空腹。
ゴールが見えた時は、しゃがみこみそうになってしまった。

西蒲田のやどろぎに無事到着。
食糧確保が出来ないまま、途中でダメ元で電話してみたら、店は開けてるって嬉しい返事。
へとへとになりながらやどろぎでテレビを見た。
想像していたよりもずっと大きな被害。
災害に遭われた方々に比べれば、ただの帰宅難民だったが、それでも疲労困憊になってしまった。
一日でも早い復旧と、不幸にして命を落とされた方のご冥福をお祈りします。

東北を襲った大地震の揺れは東京台東区でも感じられた。
その時間は在社しており監査を受けている最中だった。
最初は「地震ですね。」ぐらいで済ませていたが揺れはだんだん酷くなり、監査は中断して安全を確保する事が最優先になった。
いつまでも続くような揺れ方で、ネットも電話も繋がらない中で情報を集めた。
監査も早々に終了となり、本来は翌土曜日は出勤日であったが急遽自宅待機の指示が来る。
TVでは鉄道も止まり、外回りに出ていて帰ってきた同僚からは道路も車だらけで動いていない、バスも走ってはいるが渋滞で何時来るか分からないと言うことだった。
会社の営業車で帰宅しても良いと言うことだったが遠距離通勤者に譲って、18時過ぎに会社を出て一旦JR御徒町へ行ってみる。

運行停止だけではなく改札すら入れないように駅はシャッターを下ろしてあり、何の案内もない。
館内放送や張り紙すらない状況だ。
こうなると残された手段は一つしかない。
最後に頼れるのは自分。
そう、歩いて帰宅することに決めた。
御徒町から蒲田まで自転車で走ったことがあるので、凡その距離は予測できる。
距離凡そ22km。
歩きは苦にならない方だし仕事中はよく歩くようにしているが、安物の革靴でどこまで歩けるかが問題だった。
御徒町駅からR4昭和通へ出るが交通機関が麻痺しているため、歩道から溢れる人。
信号が青でも流れない車。
少しでも前に出ようと交差点の真ん中で止まってしまい、クラクションを鳴らされてる愚か者と、鳴らしている馬鹿者。
人が渡っている横断歩道にクラクションを鳴らしながら、窓も開けて罵声を上げている奴。
ようやく日本橋まで辿り着き、人ごみを避けて裏通りを歩く。
築年数の古いビルは窓ガラスが割れて散乱し、連絡を取ろうとしている人達が公衆電話に長蛇の列。
腹が減っては歩きもできないと思い視界に入るコンビニに手当たり次第に入ってみるが、当然の如くパンや弁当は売り切れ、飲み物もジュース類はあっても水が無い。
仕方なく歩き続けて築地まで来たところで我慢できずに自販機で飲み物を買う。
血糖値が高いので普段はめったに飲まないが、今日は糖類の多目のスポーツドリンクを買う。
築地の先から海岸通へ出るが、ベイエリアはビル風が強く、コートに向かい風が纏わりついて歩きにくい。
途中、都営バスのバス停の行き先が品川になりナスに乗るかどうか思案するが、海岸通も車は全く流れないと言うか動かない。
珍しいことに空車表示のタクシーが止まっていたので運転手に話を聞くが、何度も客を乗せて何度も降りられたそうだ。
つまり車より歩いた方が少しでも進むって言うこと。
旧東海道まで到着したが、ここも歩いて家路を目指す人で溢れかえっている。
コンビニで食糧補給は諦めていたので居酒屋など覗きながら歩くが、どこも「地震のため閉店」か「満席」かだった。
R15立会川まで到達。
ガソリンスタンドはトイレと休憩ロビーを開放、マクドナルドは入りきれない人でごった返し、ビジネスホテルもロビーを開放し始めている。
鈴が森から大森方面へ入って少し気が緩んだ。
足が重くなり前に出ない。
環7春日橋を潜り、JR線沿いに出る。
通勤で使っているJR京浜東北線の車両が踏み切りの上で停車しており、踏み切りは下がったまま、警報機もずっとカンカン鳴ったままだ。
家から一番近い踏切まで、やっと到着。
この踏み切りも下がったまま、警報機は鳴ったままだったが、遮断機を持ち上げて車を通したり。
昼に客と蕎麦しか食っていない空腹。
ゴールが見えた時は、しゃがみこみそうになってしまった。

西蒲田のやどろぎに無事到着。
食糧確保が出来ないまま、途中でダメ元で電話してみたら、店は開けてるって嬉しい返事。
へとへとになりながらやどろぎでテレビを見た。
想像していたよりもずっと大きな被害。
災害に遭われた方々に比べれば、ただの帰宅難民だったが、それでも疲労困憊になってしまった。
一日でも早い復旧と、不幸にして命を落とされた方のご冥福をお祈りします。

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横須賀は15時から約半日停電でした
(T-T)